生きてていいよ、たぶん

誰かのために生きたい

私戦 1

「酩酊しているな」

そう言われた。多分そうだ。私は酩酊していたに違いない。そう思う。そうだ。そう。

飲み込み辛いものを飲み込むためには些か酔いが足りない。

 

 

他人の幸せが致死毒だと思っていたのに、どうやらそうじゃない。

私を死に至らしめる毒性は「君の奉仕」による私の満足であったこと。

自覚するたびに肋を這いずる疝痛は肉体による訓戒に他ならなかったのに、私の生は心に依って身体をどんどん切り離していった。

 

 

思いついた言葉で風景を切り取ることを情緒とするのが大変厭らしい事だと悟った私は、魂の風景だけを遊び場とした。

狡賢い奴らだけが、実在を虚構にすり替えて人々を騙している。私はその被害者だ。これ以上痛めつけられてたまるか。

この信条がいよいよ揺らいでいる。意志薄弱な私は遂に寝床を這い出せなくなった。

 

肉体の滅びよりも精神の消滅を望む。

私という殉死はここに不可能になった。

 

ある女を知っている。

いつか見た女の姿は芸術そのものだった。彼女が生きる様が全ての表現の震央であったし、舞台を降りてもそこがまた舞台になった。

「私は女優」

そこに美徳がある限り、そこに哲学がある限り、女は演じずにいられない。

そこに飢餓がある限り、そこに器がある限り、女は満たさずにいられない。

幕一枚隔てて、衣擦れが止まない。それは耳鳴りにも似た。

「Femme fatale」

私は観客、女はその欲望を数多受け止めて来た。

口籠るしか無かった言葉を吐き出すことはとうとう叶わずに、胸焼けばかりを感じている。

 

 

 

 

 

 

極限の利己主義は、突き詰めて博愛主義に倒錯されるものよ。

 

 

 

 

 

 

私の肉体を透かしていく。

「愛も性も素面だから」

私はそう言った、紛れもなく、そうして嘯いた。

 

2018 7 13